ラピスナイトとオーロラの道で
内野志織さん  TD21W SIDEKICK
 「イエローナイフ」という街は、北緯62度に位置しているカナダのノースウェスト準州の州都にあたる都市です。1770年代、イギリスの探検家「サミュエルハーン」がこの土地を冒険していたときに、黄銅製のナイフを使用する先住民族―デネ族に遭遇。彼らをイエローナイフ族と呼び始めた事から、 この地の名前がイエローナイフと呼ばれるようになりました。
 その後、1930年代に金鉱床が発見されゴールドラッシュが始まると、金を求めて続々と人が集まるようになり、1967年にはノースウェスト準州の州都に、そして1991年にはイエローナイフから北300kmの地点でダイアモンド鉱床が発見されるなど、ノースウェスト準州の政治経済の中心都市として発展を遂げて来た、カナダ最北の都市です。近年オーロラ観測するのに非常に適した場所として、毎年多くの人々がこの地を訪れるようになりました。


内野さんのオーロラ写真館サイトURL

 このオーロラの街として有名なイエローナイフを、当時の私はどのようにして知ったのか、もう忘れてしまいましたが、会社員として働いていた私は、どうしても毎日の生活と自分の思い描く将来の自分を照らし合わせる事が出来ず、勤めていた会社を辞めオーロラ撮影をする為に2000年の2月、イエローナイフへとやってきました。私は始め、この土地についての予備知識を全く持っていなかったため、「人々は狩猟をしながら生計をたて、氷の家(イグルー)に住み、移動手段は犬ぞリ。隣の家まで行くのに何日もかかり、食糧となる野生動物と共に果てしない荒野を移動しながら生活しているのだろう」とかってに思い込んでいました。
 でも、町には巨大なビルが立ち並び、人々は暖房完備の立派な家に住み、車で移動し、スーパーで食糧を手に入れるという生活をしている人がほとんどでしたので、初めて訪れた極北の街は意外にも「都会?!」でちょっとがっかりしたのを覚えています。しかしながら冬場は−40℃を下回る程寒さの厳しい土地で、湖や川の上を巨大なトレーラーが行き交う事の出来るアイスロードが誕生するなど、やはり普通の都会ではありませんでした。


 ちなみに、−40℃の世界をちょっと紹介させて頂きますと、バナナで釘が打てる寒さです。一晩若しくは数時間バナナを外に出しておくとカッチンコッチンに凍りますので、簡単に釘が打てます。
 冷凍庫で固めたバナナよりも堅いのです。また、シャボン玉も凍ります。膨らましたシャボン玉は空高く舞い上がらずに凍った重みで落下し、地面をころころと転がります。その凍ったシャボン玉を指でつつくと、つついた部分だけ指の熱で溶け、それ以外のところは丸い形のまま残っているという状態になります。
 キャンプをしているときなどは、とにかくお湯を沸かすのに時間がかかります。
 お湯を沸かし始めてからパスタが出来るまで約3時間。やっと出来上がった熱々パスタも食べ終わる頃には所々シャーベットになって、冷たいパスタになってしまいます。
 そう言えば、初年度使用していた金属製の懐中電灯、カメラを扱うのに邪魔だったので口にくわえた所、凍って舌に張り付いてしまった事もありました。
 −40℃の世界は、寒いというよりとにかく「痛い!」と言った感覚で、指先鼻先、そして耳などは放っておくと簡単に凍傷になってしまいます。撮影に夢中になっているとついつい放ったらかしにしてしまい、ロウのように真っ白に凍った事もありました。
 
 2001年11月、再びイエローナイフに行く事になった時車の購入を決意しました。初年度は自分の車を持っていなくて、友人の車(TOYOTA4Runnerハイラックスサーフ)の助手席を陣取ってオーロラ撮影に励んでいましたが、行きたい所へ自由に行ける車が必要だった事から購入を決意。新車同様だった98年車SUZUKIのサイドキックをカルガリーのディーラーで購入後、カメラ道具一式、家財道具一式を車に積み込んで買ったばかりのサイドキックを運転し、イエローナイフへやって来ました。
 ところが、新車の形状をしていたのはその冬のシーズンだけで、次の年再びイエローナイフに向かう事になった時、その途中の道で鹿を轢いてしまったためフロント部分がつぶれてしまい、悲しい事にそれ以来つぶれたままの状態です。
 ヘッドライトがめり込んで少し下向きになってしまったので、常にハイビームの状態で普通のライトの高さくらいです。また、冬場こちらは車が滑らないように道路に細かい砂利をまくのですが、対向車が巻き上げる砂利によりフロントガラスにはヒビが入り、穴ぼこだらけになってしまいました。
 冬場の寒さのせいで車のパーツもすぐにダメージを受けるようです。エンジンベルトは2年に1回は交換しないとヒビだらけになってしまいますし、CVbootsも今までに4回取り替えました。
 車が完全に暖まるまではクラッチペダルもシフトレバーも非常に固いです。また、車のフロント部分からコンセントがぶら下がっており、冬場は駐車中にこのコンセントをつないでエンジンルームを暖めておかないとエンジンがかからなくなってしまうのですが、さすがに−30〜40℃ともなると、コンセントをつないでいてもエンジンの掛りが悪いです。キーをまわしながらアクセルペダルを連打しないとエンジンがかかってくれません。
 一番苦労したのはユーコンへ旅したときの事でした。
 全走行距離約7,500kmだったのですが、帰り道の約2,000kmは全くギアが入らず、ずーっと3速で発進し途中なんとか4速に入れて走っていました。
 しかしながらやはり上り坂や下り坂、そして街中などは非常に神経を使いました。信号などで一度止まったらエンジンを切ってからで無いとギアが入らないですし、長い上り坂などは3速だと厳しいですし、とにかく早く目的地に無事に到着したかったです。

 常に問題を抱えた車ですが、この車が無いとどこへも行けないし、写真だって撮りに行けないので、大切に乗っています。今までだっていろんな所へ旅した車ですし、これからもっともっといい写真を撮る為にも、いろんな所へ行く予定ですので、もう少し頑張ってもらわなければ。