つくばーど採用歴代エスクード史 その5の弐


 白鯨から譲られたDNAを足まわりに



06年3月、第1段階のモデファイ完了



 ラインアウトから半年、“もびぃ・でぃっく”からパーツを譲り受け、ノーマルスペックを抜けだし、先代らすかるを凌駕する足まわりが装備されました。二番機の名に恥じない段階に到達したと思います。
 このモデルが登場してから、早くも10年目になるのですが、まだ、なんとか純正部品も調達できたり、仲間のノウハウやパーツの提供を受けられるという恵まれた環境が、「ことを起こすとこんなに早い?」というペースで動きました。
 自称“アライグマ足”は、リアサスの伸びを最大限活かそうというセッティングで、林道スペックとしては申し分ない仕上がり。ロングホイルベースである分も含めて、先代よりもしなやかな足まわりです。これを比較すると、先代ではずいぶんと硬いセッティングにしていたものだと痛感します。
 自慢じゃないけれど、2代目や3代目の2000ccには負けないでしょう。2700ccにだって、ついてこられないステージに乗り込むことができます(いいのかそんなこと書いて)。これでドライバーの腕さえ何とかなれば、ね。の、笑えるようで笑えない進化です。
 それくらいの妄想をかき立てなければ、あえて初代にこだわった意味がないのですから。そして「あっちをいじればこっちがこける」という二律背反も抱えていくわけですし・・・
 実際に乗ってみてどうだったのか?
 ヘリーハンセン、Goldwin、Gリミテッド、先代らすかると、4度にわたって乗り継いでくる過程で、1600ccから2000ccにスイッチしたとき、まったく別物のような印象がありました。
 そのV6−2000ccがあれほどトルクの薄い、シビアなパワーバンドの車だったのかという実感を、いやでも認めさせられました。
 2500ccに対して、2000ccの経験値で想像していたことは、同じように走らせたら、「いくら車は油入れてなんぼ」と言っても、すさまじい燃費になりそう、という想像。
 ところがこいつは、先代では不可能だった600kmの航続距離を、苦もなくやってのける。2500ccを大排気量と言っていいかどうかは微妙ですが、大排気量の持つトルクの走りが、巡航速度と効率的な燃焼を、安定的に維持させるわけです。
 もちろん、その気になってラフに踏んだら、先代どころではない獰猛な加速と速度域(あくまでエスクード比)が体験できます。この車では、パワーモードは要らないと感じるほど。つまりパワーモードに切り替えたなら、それもまた、すごい。



月への再戦は気の遠くなる距離です。

 しかし、この2500ccのエンジンブロックは、2000ccのものをベースにしている以上、補強や改修を加えていても、手に入れたパワーとトルクに相応の負荷もかかっているようです。
 エンジンブロックの密閉精度は、推して知るべし。先代の同じ頃ではあり得なかったオイルシールの劣化が、既に110000kmの時点で(正確にはこのクルマを納車した88000kmの時点で)起きています。
 もっとも、同じ頃といっても、先代の110000kmは、4年目くらいの踏破。BLUEらすかるは10年選手だということを思えば、経年劣化もありましょうね。
 いずれまた、あの納品書5枚綴りのオーバーホールを施さなければ、月への到達は困難を要するのではないかと考えていますが、考えるだに恐ろしい。
 コストの話には当然及ぶのですが、先代で70万円オーバーの(さすがに値切りました)オーバーホールをやったのは、2000年秋の車検の頃。市場のエスクードは2代目に切り替わっていても、まだ初代モデルもそれほど古い時代ではなかったのです。
 このページの書き出しで記したように、今はまだ、部品の調達が可能ですが、既に10年目の車。乗り出し5年目でオーバーホールした先代の頃とは違うことを、念頭に置かなくてはなりません。
 ここで、今そんな計算をして何になる? という皮算用をすると、納車から現在までの月単位の平均走行距離(約4600km)をベースに、月到達までの残り距離数を年単位で割っていった場合、同じペースで走り続けられるのならば、その日は2年ほど前倒しされるようです。
 2011年、5年後の、いつか。
 うーん・・・どうなんだろう?
 その頃、ちゃんと現役で走っていて、「すとらいくBLUEらすかる」になれているだろうか? もしもそうなれば、エスクードとのつきあいは22年目に入っていくことになります。
 まさに皮算用ですね。5年という、何となくリアルな年月を語る前に、あと267400kmというリアルな現実が立ちはだかるのですから。
 でも、たぶん、先代の最後の項で綴ったように、終わらない夏を追いかけていたいのだと思います。
 だって、まだ、本当に終わってはいないのだもの。